変わりゆくもの。季節、環境、もう一つ。

季節は冬。今日も今日とて野々口と野上は図書館に集う。いつものように問題を解いて、いつものように分からなかった箇所を相談する。時折雑談なんかもして、再び問題に立ち返る。すっかり慣れきった勉強会も、気がつけば残された回数はあと僅かとなっていた。試験本番が近づいているのだ。
「お前、勉強するときいつも楽しそうだよな」
「……そうなのか?」
 突然指摘された野上はきょとんとしている。
「無自覚なんだな」
そう言って野々口が微笑むと、野上は何やら照れくさそうに目を逸らす。お互いに第一志望の入学試験まであと一ヶ月を切っているというのに、二人の会話はどこか和やかさを纏っていた。
「受験生の大半が追い込まれ始める頃なのに、この時期でも楽しめるのは殊勝なことだな。何かきっかけでもあるのか?」
「勉強を好きになったことの、か?」
「ああ」
「具体的に『これだ!』ってもんはねえと思うけど……。そうだな、新しく物を知ったり、出来ることが増えるのが楽しいから、かな。確実に力がついてるのが分かるっつーか。それに、まさか自分が大学を受験できるなんて思ってなかったから、チャンスがあること自体嬉しいよ」
瞬間、野々口の眉がピクリと動く。何やら野上の言葉に引っかかったらしかった。
「大学、受けるつもりなかったのか?」
「そうだなあ、選択肢にもなかったかな」
野上が何気なく発したその言葉で、野々口は全てを察した様子だった。この男は、私への罪悪感を背負ったまま、自分の人生の決断すらねじ曲げようとしていたのだ、と。
そうか、と低いトーンで相槌を打ったかと思えば、野々口はすぐさま付け足した。
「なあ、野上」
「ん?どうしたんだ?」
「お前が大学に行くことを考えもしなかったことには、私が関係しているか?」
それは野上にとって予想外の、そして何より、核心に迫る質問だった。
いや、そういうわけじゃ、と口をもごもごさせるも、虚を突かれた野上の答えはしどろもどろになってしまう。本人が特に意識せずに口に出したとはいえ、野々口を傷つけたことがきっかけだったのは事実なのだ。
「わ、悪い、野々口を責めるつもりは全くなくて……。俺が勝手に考えてたことだから、だから、ええと……」
慌てる野上を見てハッとした野々口も、釣られたように慌て始めた。
「いや、良いんだ。分かってるさ。こちらこそ変なことを言ってしまってすまないな」
そうは言っても、野上の顔はみるみる青ざめていく。元を辿れば自分が悪いのに、どうして自分は野々口を謝らせてしまっているのか。これは自分が背負うべき問題なのだ。野々口は自分に傷つけられた存在なのだ。思い出させて謝らせてしまうくらいなら、やはり自分は野々口に近づいてはいけなかったのではないか。野上の思考は止まらない負の連鎖に陥っていた。
一方の野々口は、それらの野上の思いを理解しているようだった。
「野上」
「……はい」
「私は今、お前と勉強会をしているんだ」
「あ、ああ……。」
「それに、結構な頻度でこうやって勉強会をしているよな」
「そうだけど……。それが何かあるのか?」
「つまりだ。私は、お前と頻繁に顔を合わせることを苦とは思っていないんだよ」
「うん……?」
「だから!気にするなと言いたいんだ。私の方こそ昔の話を蒸し返して悪かった。これでこの話は終わりだ。次の問題に取り掛かるぞ。試験はもうすぐだ」
「お、おう」
「……あと、お前、もう自分が悪役だなんて思うんじゃないぞ!」
……結局、この応酬で終始野々口に圧倒された野上は、言葉の真意を理解しきれぬまま。とりあえず気にするのをやめればいいのかと、どこかぽかんとした様子で問題集へと視線を落とした。
ところで、野々口は自分が発したその一言に、自分にとっての野上の存在の変化を自覚したとかしないとか。すっかり集中モードに入った野上には、野々口の顔が少し紅潮していたことなど知る由もなかった。