「以上をもちまして、緑ヶ丘学園卒業証書授与式を閉会します」
その言葉によって私たちの卒業式は閉じられた。退場の途中、見慣れた姿が目に入った。黒髪で目つきが悪くて横暴な魔王の姿だ。ここにいる誰よりもこの学校を大事に思っている男だ。その男が、今まで見たことがないくらい優しい笑みを浮かべながら、他の保護者たちに紛れて手を叩いている。さっきまで胸にあった卒業への感傷や答辞への感動はもうどこかへ行ってしまって、ただその男に何か言ってやりたい気持ちと何と言えば良いのかという気持ちでいっぱいになった。
*
「えー、じゃあ、皆元気でね!」
真木先生の一声で最後のホームルームが終わった。真木先生の姿が見えなくなるのを確認して、真っ先に早坂くんに訊ねた。
「ねえ早坂くん、鷹臣くん見なかった!?」
「え、佐伯!?来てたのか?」
「保護者席にいたんだ。もう帰ったのかな……。」
佐伯が保護者席なんて似合わねえな、なんて苦笑いしながらも早坂くんは一緒に探そうと提案してくれた。
教室を出て、いざ共に探し行かんというところで忍者と出くわした。
「おお早坂と黒崎か!ちょうど良かった。風紀部の集まりはどうするんだ?俺は今から寮の集まりがあるから風紀部で集まるのなら三十分後よりも後にしてくれ」
「びっくりするぐらい自分本位だね……。まあ私たちも用事あるから良いけどさ。終わったら連絡して」
「ふむ。用事とはなんだ?」
「鷹臣くんがね、来てるみたいなんだ」
「鷹臣くんが?」
「うん」
「それなら早く行った方がいいな。では終わり次第連絡する。早坂はどうする?」
「あー……やっぱり寮にも世話になったし顔は出しておきてえけど……」
早坂くんが申し訳なさそうにこっちを見る。
「私のことなら良いよ、早坂くんは寮の方に行って。」
「悪いな、黒崎。他に出来ることがあればメールくれ」
「ありがとう」
ぴらぴらと手を振って早坂くんたちとは別れた。
さて、これからどこに行こう。鷹臣くんが行きそうなところを考えてみたけど、どうも思い浮かばない。まずは高いところから全体を見渡して、もし帰りそうならおっきい声で呼び止めれば良いかな。そうとなればまずは屋上だ。途中で会えたりしたら良いんだけど。
*
道中で鷹臣くんに会うこともなく屋上前のドアに辿り着いた。ドアノブを握ると、ヒヤリとした感触が心地良く手の熱を冷ましてくれる。そのまま手首を捻ってそっとドアを押し開けると、目の前に一人の男が佇んでいた。それは紛れもなく、あの、よく見慣れた……。
「鷹臣くん……?」
「おお、真冬か」
鷹臣くんは訝しむでもなく驚くでもなく、ただ冷静に返答した。
「久しぶりだな」
「うん……久しぶり」
「どうした?珍しく大人しいじゃねえか」
「いや、本当に久しぶりだなと思って」
こちらは久しぶりで何を言えばいいか分からないのに、鷹臣くんは昨日も会ってたみたいに普通に返事をするものだから呆然としてしまった。数秒の沈黙の後、頭上から視線が刺さる。
「どうしたの?」
「いや……お前も高校卒業したんだなと思ってよ」
「そうだよ!真冬さんの晴れ舞台だよ!ちゃんと目に焼き付けてくれた!?ビデオ撮った!?」
「うるせえ」
びゅん、と勢いのいい手刀が額の真ん中に降ってきた。
「痛い!!」
「でもまあ良かったんじゃねえか?卒業おめでとう」
「ありがとう。……でも、点呼は鷹臣くんにしてもらいたかったなあ」
「……そんな寂しそうな顔すんなよ真冬ちゃん?」
きっと鷹臣くんはからかうつもりで言ったのだろうけれど、反論する気にはならなかった。
「そうだね、寂しかったんだと思う」
そう言って笑うと、鷹臣くんは黙りこんでしまった。
「……悪かったな、急にいなくなっちまって」
「違う、責めたいわけじゃないんだ」
申し訳なさそうにするものだから、両手をぶんぶんと振り否定の意志を示す。
「――お前さ、」
「何?」
「東校退学になって緑ヶ丘に来たんだよな」
「そうだけど……どうしたの急にそんな前のこと持ち出して」
「いや俺だったらサツにバレねーように上手くやるのにと思ってよ。ドジだなお前」
「今更!?仕方ないじゃん!」
「冗談だよ。お前が緑ヶ丘に来なけりゃほとんど一人でやったんだろうと思ってな」
「……賭けの話?」
「ああ」
「早坂くんとか、誘うつもりなかったの?」
「早坂を巻き込んだのは結果論だ。お前が早坂と仲良くなんなきゃただ担任を受け持ってるクラスの一生徒で終わりだったさ。由井なんて完全に敵だっただろうな」
「じゃあはじめは風紀部なんて作るつもりなかったの?」
「作ってたかもしんねーけど、そんな上手くはいかなかったと思うぜ。巻き込める人間なんてそういねえし」
「……じゃあ、ほんとに一人でやるつもりだったの?」
「質問攻めだな」
「嫌ならやめるよ」
「別にいいぜ」
鷹臣くんは一呼吸おいて話し始めた。
「結論から言えば一人でやるつもりだったな。わざわざ誰かに事情を話すつもりもなかった。桶川とかヤンキー集団を上手く利用したりはしたかもしんねえけど。でもまあ、そうなると黄山が攻め込んで来たときなんかはやばかったかもしれねえ。」
「あ、あと辞職に追い込まれたのもやばかったな。一人でやってたらあの時点で終わりだった。怖えことするぜあの女。あぶねーあぶねー」
鷹臣くんは何でもないように話すけれど、改めて聞かされると喉の奥がつかえて焼けるように熱くなった。本当に一人でやるつもりだったんだな。自分が高校生のときからこの学校を取り返すって決めて、そのために大学に行って、教師になって。おじいさんのためならきっとどれだけでも無茶出来たんだろう。それでも全部一人でなんて、途方もない――――
「……そんな顔すんなよ。まあなんつーか、ここまでやれたのはお前のおかげだ。ありがとな」
「私の……?」
「ああ。言っとくけど、お世辞とかじゃねえぞ?教師って立場じゃ行動に制限がかかんだよ。まあ今は教師でもねえけどよ。それこそ二年前の文化祭で俺が黄山を抑えてたら、あの騒動は間違いなく問題になってた。校長に報告せざるを得ねえからな。生徒のお前らが機転利かせてくれたから何事もなく終えられた。それによ……」
「何より俺は、お前が協力してくれたのが嬉しかったよ」
満面の笑みでそう言うから、なんだか照れくさくなってしまった。私の顔が真っ赤になっているであろうことは簡単に想像がついたから、鷹臣くんにバレないように俯いた。バレたらからかわれそうで癪に障らなくもないけれど、それよりも嬉しさの方が断然上回った。
*
その後も会えなかった期間のことをたくさん話した。手紙は読んでくれてたのかとか、クラスの話とか。鷹臣くんは時々私をからかったけど、それでもどの話もちゃんと聞いてくれた。なんで保護者席に座ってたのか訊ねたところ、真木先生にはバレない方がいいから人数が多い保護者に紛れようと思った、とのことだ。
顔の火照りも落ち着いた頃に携帯が音を立てて震えた。
「あ、忍者からだ」
「由井?どうした」
「風紀部で集まるんだって。鷹臣くんも来る?」
「いややめとく。真木もいんだろ」
「あ、そっか」
「風紀部の奴らにはよろしく言っといてくれ」
「うん。じゃあ行くね」
「真冬」
「何?」
「いや……、やっぱいい。お前大学はどうすんだ?」
「受けられるところは全部受けたよ。まだ確定はしてないけど、多分埼玉のとこ行くことになるんじゃないかな。合格してたらの話だけどね」
「そうか。じゃあお前とはここでお別れってわけだ」
ハッとした。そんなこと考えてもなかった。お別れか……。まあこの一年ほとんど会ってないわけだし、あんまり変わらないのかもしれない。でも埼玉に帰ったら鷹臣くんとお隣さんではなくなるんだな。そう考えると、なんだか、
「……い、嫌だ!」
自分で選んだことなら我儘言うんじゃねえよ、とデコピンを食らわされた。鷹臣くんの言うことはもっともだ。でも、と口をもごもごさせている私に、鷹臣くんはニヤリと笑ってこう言い放った。
「それとも何だ?俺と離れるのが嫌なら、また『鷹臣くんのお嫁さんになるー』とでも言うか?かわいい真冬ちゃんよ」
鷹臣くんの顔を見たら発言の意図はすぐに分かった。これは冷やかしやからかいではない。もちろん求婚の催促でもない。鷹臣くんなりの激励だ。
「昔だって言ってなかったんでしょ?言わないよ、そんなこと」
「いい目になったじゃねえか。ほら行ってこい」
背中を押されてドアへと向かう。でも最後にもう一言だけ、鷹臣くんに伝えておきたい。
「鷹臣くん、三年間ありがとう。楽しかったよ」
最後の一年ほとんどお前と会ってねえよ、なんて一蹴されたけど、その言葉は確かに優しさをはらんでいた。
こうして私と鷹臣くんは感動的な別れを迎えた。
迎えたのだけど……
別れはすぐに平凡な再会に塗り替えられた。
まさか晩ご飯を求めてコンビニに行こうと家を出発したところで鷹臣くんに出くわすなんて。しかも目的地は同じで、鷹臣くんは部屋の扉に鍵をかけているところだった。そういえばまだお隣さんなんだったっけ。数時間前まで今生の別れだと思っていたのが妙に恥ずかしい。家で会う可能性を忘れてたなんて二人ともなんて間抜けなんだ、とお互い照れくさそうにしながら、隣に並んでコンビニまで歩いていった。
「まあ俺はこれくらい予想ついてたけどな」
「絶対嘘だ!」